地獄の時期から解脱した

地獄の時期から解脱したぞ〜〜〜!!!!!!!

 

 

声を大にして言いたい(言った)。

この3週間にも、いやもはや1ヶ月か、にも及ぶ

メンタルクソクソ時期からようやく解脱できた。

本当にクソクソ過ぎて何回泣いたかわからないが、

今後クソクソにまた遭遇したときに

またわたしが手を差し伸べれるようにするため、

そう、自分のためにこの記事を書く。

 

まずメンタルクソクソ時期というのは何かというと、

わたしはなんちゃらホルモンの分泌やら、

自律神経やら、「こころ」とは違う身体的なところで、

「こころ」が思いたい、感じたい動き以上に

強い力で感情を引っ張られやすい。

と、最近分かるようになった。25を過ぎて。

かつ、自分は特に自律神経が簡単にやられてしまうと自覚したので、

日頃は日付が変わる前に寝て、

日が出て少ししたら起き、

湯船は必ず浸かり、三食ごはんを食べ、

なるべくそれを乱さないようにしている。

食べるごはんは乱れているのだが。ぺろ。

こころも身体も食べたものによって出来ていると

思っているが、この話はまたいずれ。

とまあ少し脱線したが、じゃあ自律神経はいいとして、

問題はそう、ホルモンなのである。

 

なにホルモンなのかわたしもよくわからないのだが、

とにかくわたしは月経とともに在る(急な元帥感)。

女性は黄体期だ、卵胞期だ月経期だと色々な期間があって、

いわゆる妊娠しやすい時期とかの話なのだが、

わたしは月経が始まって3日〜4日してから

1週間くらいの、排卵するまでの1週間だけ

メンタルが正常な時期がある。

現在、わたしは生理3日目。

そう、メンタル正常ウィークの始まりであり、

まさしく地獄の時期から解脱したのである。

 

ふりだしにもどる。

今回の地獄の時期、クソクソ時期は

もうなんだか本当に辛かった。

世の中では台風だ大雨だで

気圧的にも「乗り越えたのが素晴らしい!」と

云われる10月だったようで

流されるようにわたしも影響を受けていた(多分)。

パートナーのことも、世間のことも、

仕事のことも、友人のことも、将来のことも、

自分のこともまるっと全部クソクソのクソに感じていた。

結婚してくれないとか、台風で水没した地域とか

祖父が癌とか、上司が妊娠とか、

決まらない予定とか、クソみたいな政治とか。

なんかもう正月に盆に年末か?みたいな

色んなこと押し寄せ過ぎじゃ?みたいな月だったな、こう書くと。

そんな外部刺激もありながら、

わたしのメンタルはフラットでありたいのに

ホルモンやら何やらが「オメーのメンタルは下!」

みたいな感じでこころを持っていくので

もう何回世間や自分を恨んだことか。

何回サクッとしにてえ!と思ったことか。

 

まあそんなこともありまして、

自分よ。

今回のクソクソ時期も、相変わらず一番に支え、

一番に気付き、一番に救ってくれたのは

他でもない、わたしだったよ。

きっとわたしのこのクソクソホルモンは

死ぬまでクソクソだし、

クソクソな世間は、ずっとクソ。

というか、みんな自分の人生に必死だから、

他人の気持ちがこうとか、思ってる分勿体ないよ。

だって向こうは、そんなわたしに気にも留めないから。

自分の気持ちや気づきを記したメモは

ごまんとあるわたしだし、

そのメモたちにいつも書いてるから

きっと読んでてわかると思うのだけど、

自分の気持ちに正直に生きた方が吉だよ。

世間体とか、誰かの気持ちとか、

そんなの全然考えないことがミソ。

 

今回クソクソ時期を脱せたのは、

悩みがなくなったわけじゃない。

多分これもホルモンの影響を受けている。

カチッと地獄が終わる感覚がした。

あっ、終わったのか、と思った。以上。

だから悩みや問題はそのまま。

だけど、まあしゃあない、あるよねって

思える時期がきっとくる。

メンタルや、外部がそう持っていってくれる。

今はそういう時期。

色々乗り越えてきたわたしには、この言葉もきっとわかるはず。

 

あ〜〜〜やっぱ言葉にすると、

言葉にできないことばっかだな。

語彙力の足りなさを痛感するし、

言いたいことの二転三転具合もすごい。

が、それもわたし。今の時点での、わたし。

 

クソみたいな時期を脱せてよかった。

本当、今はこれに尽きる。

排卵はどうしようもないし、

あと数日のメンタル高期だけど、

ちゃんと楽しもう。

さらば、友よ

「お花見」の季節がやってきましたね。

二十数年生きてきたけれど、花見らしい花見よりも、花見と称し花を見ない飲み会に参加することが多かったです。

社会人になって数年。今年はそんな飲み会もなさそうです。

何故なら、友と呼んでいた人たちとさよならしようとしているので。

 

……いや、突然すぎる。突然すぎるな。

しかも前のエントリーで「暗い話題は出さない」系のこと言っといて暗そうな話題だぞ!

まあでも卒業シーズンだし、そういう意味ではこんな話題もいいのかな。

ちょっとダークな記事になるけど許してね。

 

さよならするといっても明確な別れがあるというより、フェードアウトを選んだということなんだけれども。

 

数年前のわたしが見たら、「ようやくか」というコメントをいただくだろうことを綴っていこうと思う。

 

*

 

大学時代、わたしが学びたかった分野は専攻している科の小さな研究室、そこしかなかった。

そこには天真爛漫な女の子のニコ、おうちも自身の性格も女王さまなお嬢、女の子より女の子らしいのに下半身と脳が直結してる男子のチカがいて、卒業までの3年弱を家族よりも長い時間この3人と過ごすことになるのですが。

結果を言えば、わたしの我慢が限界に達した。

これに尽きる。

 

人間関係というものは、どちらかが譲り合ったり我を押したりして、力が均等になることは殆どないように思う。

理想を言えば互いが互いを尊重し理解し…となのだろうけれど、人間ってそれぞれに思いや考えがあるわけで。

その研究室で出会った友人たちはみんな、譲り合うよりも我を押す方のメンバーだった。

 

大学時代は小さな研究室で荒波を極力立てず、卒業までの数年間だけ我慢していればそれでいいと思っていたのだけれど

(それでもコイツらと仲良くしなければもっと穏便で豊かな学生生活を送れたのではと思えるほど嫌な出来事が何度もあったし小爆発も何度かした)、

卒業してからのここ数年もその「我慢する」馴れ合いが続いてしまった。

しまった という言い方なのは、傷ついたり嫌な出来事があっても、それを我慢して笑いや場を作りつつ、媚び売っても仕方がないのに嫌われる勇気もなかったというか、相手に愛なのか情からなのかわからないが、面倒を見てしまっていたわたしがいたからだ。

だが、その我慢がとうとう爆発した。

決定打になったのは、彼女たちのマウンティングと何気ない一言でわたしの大事な人を傷つけたことだった。

 

これまでのニコ・お嬢・チカに対してもちろん色々思うことはあったんだけれども、「この子はこういうタイプだよね」という天使のように寛容だが悪魔のように我慢の幅を広げることになる言葉で自分を無理やり納得させていた。

人は他人を傷つけることと自分が傷つくことには案外気がつかないもので、要はわたしもそう思うことで自分を我慢=傷つけていたのだ。

だが、自分が愛していたり大事だと思っているものに対して、自分を傷つけるように他人から傷つけられると、とんでもなく悲しく、怒りが込み上げてくるものなのだと知った。

悲しいことに、わたし自身実際に傷つけられて気がつかされた。

わたしも止める間も無く、「こういうタイプ」では済まされない過ちを彼女たちは犯したのだった。

 

大事な人を傷つけられた結果、わたしはこれまでの数年間に彼女(ら)から傷つけられたと明確にわかっていたことから、実は傷ついていたのかと気がついたことまで、ほとんど思い出すことになる。

そして幸福や安心感などよりも、わたし自身を抑えて=傷つけていたことが多かったことも知ることになった。

 

なんだよ、社会人になって、小さな研究室から脱して「みんなのため」と思って自分が我慢しなくたって距離を置ける位置にいるじゃないか。

自由に選択できる立場にいるのに、何故わざわざ傷つく方にいっていたのか。

そんな簡単なことも見失っていた。

 

幸いなことに、わたしはひとりで行動することが全く苦ではなく、むしろ他人に気を遣わず、自分で立てた計画を計画通りに行動することに快感を覚えるタイプで、かつ自分のしたいことや好きなことを知っているから、そんなマウンティングまみれの渦にいるよりよっぽど幸福になれることを知っている。

きっと数年前のわたしには出来なかったことだ。

自分で自分を救えるこの幸せを。

 

さて、色んなことを知り学んだわたしは現在彼女たちから離れようと行動に移している。

これまで一ヶ月に一度は必ず会っていたのだが、彼女らにわたしの誕生日を祝ってほしくなくてお祝いもキャンセルするなどし、もう三ヶ月ほど会っていない。

なんと心地のいいことか。これで向こうから連絡が来なければの話であるが。

何を察したのか、かなりの頻度で会おうと誘いが来る。そして共通の友人からは、ほどよい距離感で仲良くいることを望まれた。

 

わたしはまた気づくのであった。

依存されてんな、ということに。

自分で自分のことすら満たせないのか。

というより、欠乏感を持っていることや依存していることすら気づいていないのだろう。

何とも虚しいことだが、もうわたしには彼女たちに教えようとする気力すら湧かない。

 

*

 

先ほど他のインターネッツの海を泳いでいたときに、たまたま目に留まった文がある。

 

“ぽたぽたとしずくが落ちて、やがてコップいっぱいになり、最後の一滴であふれだすみたいに、物事が変わるのはつねに最後の最後の瞬間が来たときなのです。”

- 上橋菜穂子著『物語ること、生きること』より

 

まさしくこれだ、と思った。

もうわたしの彼女らへのコップは、大学卒業時にはすでにギリギリだったのだ。コップの水は一気に溢れ、彼女らと語らい過ごした座卓からは、すでに滴り落ちていた。

 

*

 

ニコには先日止むを得ず会うことになったのだが、そのときに彼女から純粋無垢な笑顔でこう誘われた。

「今年こそ、桜を見ながら花見をしよう。」

 

その言葉を聞いて、曖昧に笑うだけだった。

そうだね、や、いいね、を言うわたしはもうどこにもいない。

 

わたしの住む地域では、今日一気に桜が咲き始めた。

明確な線引きはまだ出来ていないけれどいずれ通る道にはなるだろうし、桜が咲き始めたらこの記事を何となく思い出すことになるのだろうか。

出会いと別れの季節。しばらくマウンティングの渦に顔を突っ込みたくないので女友達自体欲しくないのだが、いずれ互いに尊重できる友と出会い、桜を見ながら笑い合う夜がきたらいいなと、思いをはせる。

シンキング

仕事も終わったのでじっくりゆっくりきままに、ここでどんなこと書いていくかを自己紹介も兼ねて書こうと思う。

 

わたしの名前はil(イル)。

20代で、ニッチな職に就いている会社員である。趣味は愛車でドライブをしたり、音楽を聴いたり、美味しいものを食べること。ファッションやコスメもそこそこに気にはなるけど、カジュアルだったりシンプルだったり大人っぽいのやメンズライクが好きで、女の子らしい女の子はキライな女である。世の中の女子のことは色んな意味も含めて「すげーな」って尊敬したり感心したりしてるような女です。

 

そんなわたし、テレビはあまり観ません。観るときは公共放送が8割くらい。マスコミのキナ臭さがあまり好きではないのと人を貶す笑いが好きではなく、テレビに限らずですが基本ノンストレスでいたい。だから確実に笑えるもの、ハッピーになれるもの、基本的なニュース以外は観ないでいます。映画は観て年に一回、ディズニーを観るくらい。あんまり好きではないです。

だから、難しかったり悲しくなったり苦しくなるような話題はここには書かず、ハッピーとまではいかないけど、フラットでいられるブログにしたいなと思ってます。自分のためが大きいけど、でも自分のブログなので。

エスノンストレス!ノーストレス!

 

なんでブログ書き出すとこう堅苦しくなっちゃうんだろうね。

基本ゆるゆるです。朗らかに、ゆるっとおだやかにやさしく笑っていたいです。

でもブログとか久々だし、他のブロガーさんの語り口調に影響受けちゃうこともあるのでしばらく安定しない気がする。

 

ちなみに昔はこんなゆるゆるじゃなくて、難しいことも簡単なことも難しく考えて、ひとりで辛くなって情緒が安定せず、一時期は希死念慮も持ってました。

ふふ、就活で終活しようとしてたっていう。

うつや希死念慮って自分の一部だから完全に克服はできないけど、死にたいとか絶望していた時期から乗り越えられたから、それで苦しんでる人がいたら、何かちょっとでも助けになることも書けたらとも思ってます。

 

あと、スピリチュアルとか宗教と名のつくものは好きではないのだけど、潜在意識と引き寄せの法則はわたしの基本的な生き方や考え方になっているのでそれについても書けたらなと。

ちなみに無宗教だし、仏さまとか幽霊とか宇宙人とかはいるんだろうなー程度です。

 

どうぞよろしくお願いします。

綴るということ

文字を綴ることが好きだ。

文字を書くことも好きだ。

自分の考えや思いを綴ることも、まとめることも好きだし、iPhoneのメモや自分しか見れないツイッターのツイート数も日に日に数が増している。

 

が、ブログを書くということは随分と久しぶりである。

 

中学時代にちまちまコソコソと更新していたブログはいつの日か黒歴史と変わり、当時思春期ゆえの情緒不安定さによって幾度となく行ったメアド変更で、登録していたログイン情報は彼方へ消えた。

某緑色がブランドカラーなブログサイトにも登録したものの、ブログ更新以前にサイトのデザインが嫌いでログインすら億劫になってしまった。

 

かといいつつ、綴りたい欲は薄れることはなく、メモ用紙やツイッターで消化していた矢先。つい先ほど。

 

はてなブログ自体、ツイッターのタイムラインで稀に流れてくる拡散記事くらいしか読まないのだが、ふと仕事をしながら論文や報告書以外の、なんでもない人の綴った文字を追いたくなった。

なんでもない人といえばブログだなあと思い、デスクのネットをプライベートモードにして、「はてなブログ 人気記事」と検索をかける。

 

年度末の忙しさを纏いながらも、春の穏やかな雰囲気に負け、社長がデスクで船を漕ぐ、ゆるく静かな事務所。

 

わたしは、はてなブログに登録し、まさしく就業時間の最中にこの記事を更新している。

 

*

 

いや、何やってんだと思う。

仕事しろよ、仕事に集中しろよと自分でも思う。

幸いにして(?)いま急ぎの仕事はないし、寝るよりかははるかに生産的だと思う、と苦しい言い訳を記しておく。

 

ていうか、自分の考えとかツイッターに放り投げてもログ追うの面倒だしまとめるにしても大変だし。

あと、基本わたししか見ないだろうけど、誰か知らない人にもわたしのこと見てほしいなと思っていたし、そうでなくとも記録していたいし。感想や共感はいらない、こんな人いるんだなと思っていてほしいだけというか。

 

誰も知らないところで、人を気にせず自由に深く綴りたくなった。

 

そんなざっくりした理由で、ブログ、始めます。